お盆連休中に一人の友人と会う機会があった。
高校時代からの友人で、もう20年ほどの付き合いだし結構頻繁に会っているが、今回会うのはおよそ3ヶ月ぶりなので、普段人と喋ることが苦手な私が何時間もその友人と話をした。
投資=ギャンブル
私が投資をしていることは知っているので、少し資産運用について話を振ってみた。
36歳にもなるおっさんなのだから、多少の事はわかっているつもりで話を進めてみたが、私が何を言っているか理解できていない様だった。
その友人はギャンブル好きなので、お金を増やすことに関しては抵抗が無く、投資は面白そうだと色々質問されたが、その質問内容を聞いているとおかしなことに気が付いた。
「こいつ投資=ギャンブルって考えてるな・・・」
競馬みたいに何倍にもなることはほぼない、何年もかけて少しずつ増やしていくものだと説明したら、明らかに興味が無くなっていくのが分かった。
貯金は無いが幸せそう
その友人は仕事をしていて、年収450~500万ほどあるのに貯金をしていない。
働いていればなんとかなる、今借金も無いしお金には困っていない。
老後の事なんて今考えても仕方ない、20年以上先の事なんてわからないと言っていた。
言われてみれば確かにそうだと思った。
友人は今を楽しむために仕事をしている、私は仕事を辞めるために仕事をしている。
友人の仕事は医療系、おそらくこれから先も仕事が無くなるなんてことは無いだろう。
そう考えると、拘束時間があり自由な時間が少ないとはいえ仕事を続けている友人は毎年500万円近い収入がある。
私の年収はその約半分、この先私がこの友人の生活レベルまで上がることはない。
私の人生どこで間違ってしまったのだろうか・・・
労働が嫌い
お金のことに関しては無知だが高収入な友人、多少なりともお金のことを勉強しているが低年収でつまらない私の人生とで比べてみたら、誰に聞いても今が楽しそうな友人の人生を選ぶだろう。
今までの利益はあるが、友人が稼ぎ出している金額には遠く及ばない。
お金さえあれば・・・そのことだけを考えてこの数年生きてきた。
それなりに耐えられる環境で働くのならそれもいいかもしれないが、私にはあと何十年も労働をすることが耐えられない、今まで5社ほど転々としてきたがそのような職場は無かった。
そして年齢制限というタイムリミットも来てしまい、無能な私が年収400~500万円稼ぐことは無理だと諦めた。
縛られているのは自分自身
投資の世界は結果が全て、資産運用しているから、お金の知識が普通の人よりあるからといってもその人が正しいわけではない。
経済が崩壊して、私の保有している株が紙切れにでもなったりしたら「株なんてわけのわからないことやらなければよかったのに」と言われるのは間違いない。
私もそう思う。
無能な私がこの労働から抜け出すのには、これしか方法が思いつかない。
将来どのような結果になるのかわからないけど、この考えは変わらないと思う。
将来の為、自分の為にと色々勉強してきた。
結局、自分の為にやってきた「お金に」縛られているなんて・・・。
コメント
こんにちは。
あさげさんの友人はあと30年くらい働くことを許容しているのでしょう。しかし、あさげさんはあと3年くらいしか働きたくないため、残された時間が違うので、焦り方が違うのでしょうね。
私はあさげさんの考え方に近いです。
給料は上がらないのに、社歴が長くなると、やることや責任が増えて面倒だし、人間関係を構築するのも手間だし、精神的な疲労が蓄積されて働きたくないです。
どんな職場でも働く事が好きになる精神を身に付けられてないと我々は抜け出せない気がします。
友人は定年まで働くのが当たり前だと思っています。
私はセミリタイアという生き方があると知ってから、労働から逃げる事ばかり考えています。
私の能力では今以上の給料はもう望めないので、生活が今以上に良くなることは無いでしょう。
長く同じ所で働いていると、責任が増えたりめんどくさい人間関係とか良い事はありませんね。
自分で稼ぐ能力が無いので、働かないといけないのですが。
いつまでこんな事が続くのだろう・・・。